罪と罰/手塚治虫(原作ドストエフスキー)

罪と罰 (手塚治虫漫画全集)
原作を以前に読んだことがあるけど、結構うまく描かれていると思う。
だけど、原作を読まずにこれを読んだだけで罪と罰を読んだって言うのは危険かも…
原作読んだ人向け。

追記 デスノート罪と罰

ちょっと前に思ったことを追記。
デスノートって流行ったけど、あの話って明らかに罪と罰を下敷きにしているよね。
罪と罰にある「超人には、人類のために既成の道徳法律を踏み越える権利がある」発言は
そのまま、月の「僕は新世界の神になる」発言とかぶるって考え方。

罪と罰の主人公はラスコーリニコフは「超人」(ナポレオンやらイエスやら *ニーチェ的な超人とはちょっと違う気がする)は
既成の道徳法律に縛られず、人々の幸福を構築することができる権利がある。
故に自分は既成の観念には縛られないと自身の理論を実践し、
高利貸しのお婆さんを殺害する。

これをデスノートに当てはめると、
月はデスノートを手に入れたことによって、自分が「超人」であることを確信し、
既成の観念に縛られず、犯罪者を断罪するためにデスノートで殺戮をする。

まぁ、これは確信犯的(誤用ということはわかっています)なものなんだろう。

罪と罰では、主人公は自分の罪に耐えられず(と言うよりも恐怖心)、自首をし、
服役で精神を取り戻す。

月はそうはならない。最後まで自分の「超人」信じ、自分は死ぬべきではないと思いながら、
死んでゆく。ある意味これは罪と罰の超人思想の行き着くところのような気もするけど、
月は結局は「超人」ではなく。只の「天才」どまりだった。

自分を「超人」と思い込む凡人が一番危険って感じな気がした。

ここまで書いて思ったけど、この内容って思春期の拡大しすぎる自意識と似てる気もするな。
特別でありたいとか、人とは違う、マイノリティみたいな
だから、デスノート流行ったのかな?