動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 / 東 浩紀

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
出た当時流行っていて、読もう読もうと思っていたうちに時間が過ぎてしまい。
今回、この著作の続編が出るのと、これが出た当時と比べオタクの知名度(誤解度の増しただろうが)の状況が著しく変わってきているのでこの問題を再考すべく読書。

自分が最も惹かれた部分は(おそらく、それがこの本の肝のひとつで、大多数の人が考える部分であろうが)

ポストモダンでは大きな物語が失調し、「神」や「社会」もジャンクなサブカルチャーから捏造されるほかなくなる。それはよいとして、ではその世界で人間はどのように生きていくのか? 近代では人間や神が社会を保証することになっており、具体的にはその実現は宗教や教育機関によって担われていたが、その両者の優位が失墜したあと、人間の人間性はどうなってしまうのか?

と言う部分。
この文章の中の大きな物語というのは、所謂設定や世界観のこと(現実の世界で言うと常識にあたると思う)
現代では、従来の「神」の存在は、殆ど地に堕ちている。(少なくとも日本では)だからと言って「社会」に信用性があると言っても、
それは到底肯定することができないのが現状だ。
この本の中では、その空白をオタクたちはどうしているかこう書いている。

伝統にささえられた「社会」や「神」の大きさをうまくとらえることができず、その空白を近くのサブカルチャーで埋めようとする

つまり、それは現実的な社会規範がうまく機能しないため、別の価値規範(それがアニメだったり、漫画だったり)を作って埋めている。
個人的にはこれがオタクが社会一般に奇異の目で見られるの一番の要因だと思っている。
だけど、この考えは別にオタクだけではないと思う。
別の価値規範は、自分探し・宗教・音楽・ファッション・文学・ドラマ…etcでも成り立つわけであり、そのあり方が
極端に異常というわけでは無く。こういう二重規範を持った人は当たり前に存在する。
実際、オタク文化は数十万人規模の市場があって、その主要層が1950〜60年生まれの大人である事実を考えたら、
無視することはできない。全国民レベルで浸透するものではないものの、決して極少数の文化と言えない部分がある。

つまるところ、この本読んで思ったことは、オタクは自然発生的なもので、
ある意味、殆どの人と地続きの関係性かも知れない。
容姿やコミュニケーション問題に対しては別問題だが。
あと、タイトル的にはオタク擁護論っぽい感じだけど、読むとそうでもない。